1月19日放送の「人志松本の許せない話」を見た。
ロバート馬場のYahoo!ニュースのくだり、最初は何がゆるせないのかいまいち意味不明だった。
が、何か引っかかるものがあったのでちょっと考えてみた。
まず概要。
馬場は、Yahoo!ニュースには記事にコメントが付けられること、そしてそのコメントを「そう思う/そう思わない」の選択によって評価できるシステムである事を説明。
その上で、よくある例として若手芸人やグラビアアイドルが本等を出版した際に、必ず「誰だよこれ」とコメントする奴が居り、更にその評価で「そう思う」が4000件もあった例を紹介した。
馬場「4000人キモちわる!と思って」
馬場「(ネガティブなコメントは)思ったら思っただけでいいのに、4000人も『そう思う』に乗っかって。。」
馬場「その中に200人くらい『そう思わない』という、すごい素敵な方たちがいて。。」
もうひとつ例を出す。
馬場「パンクブーブーのM-1優勝記事にはおめでとうコメントがついてて、『そう思う』が1500件位あって、『そう思わない』奴が200人位いたんすよ!なんでそこをおめでとうって言えないんだろうみたいな」
馬場「正直に。」
正直に・・?
概要ここまで。馬場の挙げた例はもう一つありましたが端折ります。
番組内では、他の出演者も皆同意のようで、最終的に馬場「あのシステムはちょっと怒りで・・、やめて欲しい」とのことだった。
反射的な感覚として、知らない芸能人に誰だよこれと言ったら「キモい」ってどういうことだよ、と。
4000件も「誰だよこれ」と思われてる人の出版が(芸能人ニュースということで)注目されていることに対する皮肉みたいなものだと思った。
が、それは置いておく。
この例のコメントとその評価を、馬場のように「嫌なもの見た」と思うか「まあまあ当然」と思うかが、ネットリテラシーによってまっぷたつに分かれる気がする。ということはつまり、Yahoo!ニュースはたくさんの人が見る事が前提であるにも関わらず、リテラシーの差によって解釈が逆になってしまうシステムで、そういうシステムとはいかがなものかと問うているのではないか。そう考えると、これは現状のコメント及びその評価システムの妥当性についての問題提起と取れる。
自分としては、もちろん記事へのコメントは当然賛成だし、コメントが付けられる以上、そのコメントの妥当性を判断する材料として評価システムも必須だと思う。これは揺るがない。
さらにYahoo!ニュースでは、コメントは記事の下のほうにあるのでスクロールしなければ見えないことや、コメントの並び順は「そう思う」が多い順になっている等、コメントの表示形式に最低限の配慮があるのは前提として。だからこそ、おしいのだと思う。
みんなネットリテラシーが高くなればいいじゃないかというのも、現実的ではないし、良いシステムを考えたい。
おそらく、ニュースの当事者・関係者が世間の反応をチェックしたいと思ったときに、衆愚化しているかもしれないコメントをどの程度真に受けていいのか、許容していいのかが分からないのではないか。もちろん芸能人だったら、エゴサーチの心得として、ある程度のリテラシーと器はあってしかるべきだと思う。
一般人の場合でもその必要があるのか。コメントをそれなりに解釈しようとしたら、そこそこ高度なリテラシーや脳内変換を要求するような表示のされ方はサービスとして不完全とは言えないか。
ではコメントの妥当性や、信頼性(内容の信頼性ではなく、見るべきかどうかという意味)はどのような評価システムによって担保されるべきなのだろうか。
コメントとそのコメントへの「よい/わるい」の評価システムを設けているサービスはすごく多いと思うのだが、大抵の場所ではネットリテラシーがある事が前提なのでそんなに問題はないと思う。そういう前提がない場所では工夫が必要だと思う。
やはり、ページランクやふぁぼったーや戦闘力のように、なんかよくわかんないけど、高けりゃいいってのは、直感としてわかりやすい。逆に「そう思う/そう思わない」のように変に口語と結びつけられると、ネガティブコメントのときのダメージが痛い。
また、コメント評価がシンプルである方が、コメント評価そのものを期待してあえてネガティブな釣りコメントする動機は減る気がする。
仮に「コメントランク」と呼ぶとして。
コメントランクが高いということは、コメントが注目されているという意味でしかなく、支持とも不支持ともその両方とも取れる。逆にコメントランクが低いということは、コメントへの不支持なのか、単に注目されてないのか区別ができない。都合の良い解釈をしやすいようにできていると言える。どんなコメントが付くにせよ、それが注目に値すべきコメントなのかを判断する助けになるのではないか。
まとめ。
- コメントとその評価システムの妥当性について。(例えば、コメントの衆愚化がコメント評価システムによって解消できるのかどうか、逆に助長されてないか)
- 期待することは、信頼性の高いコメントだけが見たい。(特にニュースへの反応をチェックしたい当事者/関係者にとってはそう)
- コメントランクの提案。
鍵は支持と不支持の当価値にして注目度とすること。無関心と不支持の恣意的混同。
以上。
すっげえ読みづらいな。
返信削除松本とかが同意してたのは「些細なことに難癖つける輩が必ずいること」と「それを助長するシステムが無意味である」ことの2点
返信削除馬場はそこまで考えてないし、あの場に相応しくないただのDQN