2009年10月27日火曜日

ニコ生の質問募集について

ニコ生のおかげで、最近はすっかり会見ヲッチャー気取りですよ!
それはいいんですけど、質問募集~会見で質問までの流れを見て思った(つぶやいた)ことをまとめた。

ユーザーから質問募集!岡田大臣・亀井大臣両会見

んーと、ニコ生の質問募集には若干思うところがあった。
関西ローカルのちちんぷいぷいって言う番組でいってた、「社としては編集したり意見をいったりせず、ただひたすら全体を見せる」っていうのはすごい見識あるスタンスで、すばらしいと思ったんだが。

質問をするとなると募集したものとはいえ「何を聞くか」に社の意思が反映されないわけはないよね。
だからニコ動も一言論機関であると認識するということ。 

あと、会見そのものは国民の知る権利の源・財産に等しいと思うので(それがいままで限られた会社・団体が独占していたことが問題だった)、せっかくオープンになったのでいろんな試みを試すのいいんだが、質問を公募する有意性を証明してほしい。
公募したら、こういう質問が一番多かったので、といって質問するのは、多分、面白くない。というか、無駄。 というようなことを思っていた。 
 
で、実際どうだったかというと。

中継が始まってすぐに、アンケートを実施(応募のあった質問をあらかじめ3つに絞ってある)し、結果を表示。結果に基づいて質問してた。一番多かったのは、48%で「テレビとネットの違いについて」。これを質問した。

発言の概要は、まず中継への配慮(何回か前の会見で岡田大臣自らが中継用マイクを回すよう指示)に感謝を述べ、ニコ動が質問募集した質問を代読する旨を説明し、質問した。その際岡田大臣から一つだけだよと念を押される一幕もあった。

会見が終わって、有意性というのはわからないが、心配しすぎた気がした。
質問内容の絞込みがブラックボックスではあるが。これはたいした問題じゃない気がする。

まず会見では、質問の前に経緯の説明さえすれば、質問内容にかかわらず、質問しやすく&答えてもらいやすくなる。
これは別の効果も期待できる。たとえば失言狙いの質問より、失言しやすくなるかもね。

俺の杞憂というか持っていた不信感っていうのは、本質的でない事のために日本の大臣の会見を利用するな、っていう事だったんだけど。つまり情報を引き出したい意図があるわけじゃないのに、いいのかな?っていう。

  1. この批判を言うことができる他のメディアが存在しないこと。
  2. 質問によって成果が得られればそれが本質となること。(本質的か非本質的かなんていう問題にはならない。あっても柔らかいか硬いか程度。)
  3. どんな質問であっても質問ができる事実を享受できること。(とく視聴者が!)

会見後この3つを思って、結果俺の心配は杞憂に終わった。
1は、今までの記者会見のぬるさとかによる。2は質問内容が決定した時に、3は質問の最中に思った。

■まとめ

おそらく、質問を募集してアンケートで決定する以上、独自の鋭い質問っていうのは難しいと思う。が、「視聴者からの質問」というこれ以上ない後ろ盾というか、質問する行為の正当性があるので、行為自体への批判や排除が不可能。

ジャーナリズム的にはそこからが問題なのかもしれないが、ここでニコ動の報道スタンスに立ち返ると、この状態が完成形であっても、悪くない気がする。

2009年10月18日日曜日